こんばんは。
金曜日は、翻訳に関する本です。
明治時代の翻訳エッセイ
本日は、翻訳家でもある明治時代のジャーナリストで社会主義者、幸徳秋水の『翻訳の苦心』を紹介します。先週の『職業としての翻訳』でも引用されていました。青空文庫にて無料で読めます。分量も約1,500字と、手をつけやすいボリュームです。
今も昔も「翻訳の苦心あるある」
明治の文体でも、内容が今に通じる「翻訳家あるある」なのでスイスイと読めてしまいます。
兎に角翻訳を思ひ立つ以上は、原文は十分に解し得られる、自国文を読むが如くに咀嚼し得たものと仮定しても良いが、扨て書き出すと、直ぐ今度は訳語撰定の困難が来る、原文の意義は十分に解つて居ても、此意義を最も適当に現はし得る文字は、容易に見つかるものではない、余程文字に富だものでも嚢の物を探るやうには行かぬ、其苦心は古の詩人が推敲の二字に思ひ迷つたのと少しも異なる所はない、其処で負惜みの先生は、どうも日本語や漢語は、適当な熟語に乏しくて困るとつぶやく、其実熟語に乏しいのではなく、其人の腹笥が乏しいのだ、と故兆民先生は語られた、故思軒居士や、鴎外君などの翻訳の自在なのは、彼等の文字に富むてふことが有力な武器であるに違ひない。
「腹笥(フクシ、本棚)が乏しい負惜みの先生」にならないようにせねばですね。
適当な訳語が出来る、其を忠実に原文の字句を遂ひ一節、一段の順序に随い器械的に並べて、翻訳は出来るのであるかといへば、是れでは文字を並べたのみで決して文章を為すことは出来ぬ、完全な翻訳は其意義を明かにするのみでなく、其文勢、筆致をも写さねばならぬ、(中略)然るに余りに忠実に原文の字句を遂はんとすれば、筆端窘束して訳文は丸で其生命を失つて了ふ、訳文をして原文の如き文勢筆致を保たんとせば、原文の字句を勝手に増損し、前後を倒置するなどの必要を生ずる、是れ実に責任ある翻訳家の進退両難とする所である
忠実さと読みやすさとの間での右往左往。「進退両難」、個人的には「ジレンマ」よりもしっくりくる表現です。
唯だ事実の要点だけをサラ/\と短かく書けば良いのだが、沢山な新聞雑誌に一通り目を通す、目ぼしい雑報を見つけ出す、夫をスツカリ読了し、若くば読了せずに要点を取るといふのが、素人では出来ぬ、可なり修練を要する仕事である、僅か十行二十行の雑報の為めに三百行、五百行も読まねばならぬこともあれば、三頁も五頁も読で見て、何にもならぬ時もある
当たり前ですが、当時は全部が紙資料を目視。それでこの同じ苦心を……! そして、今も昔もこの調べ物の苦労が外に伝わりづらいのがもどかしい。適宜、秋水のように翻訳の受け手へのアピールもしていかなければと営業目線から思いました。
翻訳家の利益と、翻訳家によっての社会の利益
ひたすら翻訳の苦労を語るも、最後は翻訳作業による翻訳家の利益と社会への利益について述べています。
斯く苦心を要する割合に、翻訳の文章は誰でも其著述に比すれば無論拙い、世間からは案外詰らぬことのやうに言ふ、割の良い仕事では決してない、而も能く考へれば一方に於て非常な利益がある、夫は一回の翻訳は数十回の閲読にも増して、能く原書を理解し得ること、従つて読書力の非常に進歩する事、大に文章の修練に益する事等である、是れ唯だ一身の上より云ふのであるが、社会公共の上より言へば、文芸学術政治経済、其他如何の種類を問はず世界の智識を吸収し普及し消化する為めに、翻訳書を多く出さんことは、実に今日の急務である、従つて技倆勝れたる翻訳家は、時勢の最も要求する所である。
一度翻訳すると、翻訳家は原書を何十回と読むよりも原書をしっかり理解でき、読書力や文章力が上がる。社会全体のことを言えば、ジャンルを問わず、世界の知識を取り入れて広めて消化するために、翻訳は今の時代には本当に必要。
これらを利益や使命と取れるかどうかが、今も昔も、もしかしたらAIが発達した今はなおさら、翻訳業への適正の有無につながるのかもしれませんね。
大逆事件で処刑されたとき、幸徳秋水は39歳。政治的な思想は自分と違っていたり、そもそも掴みきれないところがありますが、この翻訳に対する考え方は普遍的なのではと思っています。
おそらくはもっと翻訳がしたかっただろう、若くして亡くなった翻訳家のエッセイ。手にとってみてはいかがでしょうか。
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