こんばんは。
水曜日は、小説、エッセイ、漫画本です。
時代小説家の“みちくさ”エッセイ
本日は、『みちくさ道中』を紹介します。
『占』に続いて時代小説家の木内昇さん作品。今回は、木内さんの「みちくさエピソード」が集められたエッセイ集です。時代小説だけあって少々硬めの文であるものの、ドンドン読み進められるリズムの良さが好きで、エッセイでもその文体が味わえました。
実は皆している? 「妄想的活躍譚」
私自身、「お仲間がいらした!」と嬉しくなってしまったのが、「妄想的活躍譚」というエッセイ。
かつて会社勤めをしていた頃、何度となく脳内で繰り広げていた妄想があった。(中略)黒装束の忍者が抜き身の刀を振り回して走り込んでくる。私は即座に机の下に潜ませていた剣を手に取り、単身、敵に立ち向かう。峰打ちでバッタバッタと奴らを倒して同僚たちから拍手喝采を浴びる、という筋である。
いい大人が、机に向かって仕事をしているふりをしながらその実、自分の活躍譚を密かに組み立てて悦に入っている図というのは、そんじょそこらのホラー映画よりも遙かにおどろおどろしい。だいたい、忍者たちはなんのために、どこから送られてくるのか?
(中略)
私はこの妄想を、同僚にも話さなかった。明らかにどうかしているという自覚はあったからだ。
その後に「同志」と思えた人との出会いや、その方に初めての著作を送ったエピソードもクスッと笑ってしまう。武士の物語を書いて、ご自身も「サムライ魂」を感じるような文体の方から、自分にも身に覚えがある「自分の活躍譚妄想」のエピソードが出てきて嬉しくなりました。
同じく「明らかにどうかしているという自覚」があって、人には話さなかった方も、本書を読めば「同志」が見つかります。木内さんと、作中の「同志」さんと、私だけじゃない。きっと、他にもたくさんいらっしゃいますよね?
「みちくさ」にこそドラマがある
木内さんは、憧れていた編集者の仕事につき、途中で思いがけず小説家となられた方。本書では、編集稼業への永遠の憧れのような思いも見え隠れします。
編集者として落ちこぼれ、流れ流れて物書きに身をやつした私にとって、花森安治のような、見事に編集稼業をまっとうした人物というのは一際眩しい。ついつい穏やかならざる羨望とやっかみを抱きもする。だがその歪んだ思いも、過去の、また現在の「暮しの手帖」を開くたび、純粋な憧憬へと(悔しいけれど)昇華してしまう。ふと気付けば熱心な読者としてページを繰っている自分を、必ず発見するからである。
大なり小なり「憧れの仕事」に悔しさを感じることはあるもの。それでも、ダークサイドに落ちずに楽しさを近くに引き寄せていきたいなと思いました。
結局、理想的仕事とは与えられるのではなく、自らの工夫や心の持ちようで作るものなのだろう。私は今、「自分らしい仕事」にこだわり続ける人より、どんな仕事でも自分らしくこなしている人を尊敬している。
私の場合、作業もジャンルも自分で完全にはコントロールできないので、なおさら「自分らしくこなす」スタイルも、模索していきたい。
そうこうするうち、あっという間に一年が経ってしまい、「今年もパッとしなかった」と方を落とすハメになるのだが、この、ひとつひとつ小石を積み重ねていくような作業が、いつの日かなにかしらの形を成すのではないかと、あくまで楽観的に構えている。
人生、思い通りにいかぬところにこそドラマがある。そう自分を慰めつつ、たとえどんな時代を生きても、「これはこれで面白かった」と思える胆力をつちかえれば、と実は密かに、贅沢な夢を抱いているのだ。
時代モノを書かれ、複数の時代を見つめている方からのメッセージ。「みちくさ」という言葉に対しても前向きな気持ちになる一冊でした。
皆さんはどんな「みちくさ」をされていますか?
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