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『風雲児たち~蘭学革命篇~』みなもと太郎 (著)

こんばんは。
水曜日は、小説、エッセイ、漫画本です。

いつかは読みたい『蘭学事始(らんがくことはじめ)』

「日本最初の本格的な西洋医学の翻訳書」と言われている『解体新書』。本日の『風雲児たち~蘭学革命篇~』は、『解体新書』の翻訳作業における奮闘を綴った『蘭学事始(らんがくことはじめ)』を下敷きにした漫画です。

「福沢諭吉は『蘭学事始』を涙しながら読んだ」というエピソードを聞いて手に取った本書、時代を超えて翻訳者が共感できる「翻訳あるある」が沢山でした。

「完成させる力」

『解体新書』が発売された時、翻訳チームのリーダー格だったはずの前野良沢の名前はありませんでした。本書ではその背景が描かれています。

翻訳作業が進むにつれ、もっと翻訳の精度を高めたい、高めないと世に発表できないと主張する良沢と、一刻も早く世に伝えて日本の医学レベルを上げたいという杉田玄白。彼らの対立の結果、良沢のクレジットなしで発売に至ったという説をもとに両者の葛藤が描かれています。

翻訳ディレクター業もしていて思うのは、翻訳者の中には良沢と玄白が両方生きているのではないか、ということ。極端な表現をしてしまえば、出来るだけミスをなくして原文の意味を伝えたい良沢マインドと、早く完成をさせたい玄白マインド。

どちらかに偏りすぎるのは品質にとっても事業継続にとっても危険ですが、本作を読んでいると特に良沢マインドをどれだけ一定の段階で抑え込められるか、つまり「完成させる力」は翻訳者に必要な要素の一つなんだと改めて考えさせられます。

これを世に広めたいから翻訳する!という熱意

当時は翻訳者や通訳者(通詞)も希少な時代。そんな時代に『解体新書』の翻訳を志した一行のモチベーションは、「この本の内容を伝えて日本の医学を前に進めたい」という強い熱意でした。

私自身は、結局どこまで行っても「翻訳者ってカッコイイな」というミーハーな気持ちが根底にあり、巡り巡って結局それでもいいかなと思っているところですが、「原文の情報やメッセージに惚れ込んで訳す」意識の重要性を改めて教えられたようにも感じています。

時代劇ドラマにも

2018年にはお正月番組としてドラマ化されました。『真田丸』以来の三谷時代劇ということでも注目されていましたね。

翻訳者が主人公のドラマ、さらには翻訳者が主人公の時代劇なんてそうそうない。7年経ったいま、改めて今度のお正月に見てみるのもいいかもしれません。福沢諭吉も涙したという「江戸時代の翻訳あるある」から今の自分を振り返ってみてはいかがでしょう?

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